MUZAK BOOKS スタート!
2015年7月、MUZAK BOOKSがスタートします。
Muzak Books 黒田恭一コレクションについて
第一回『ぼくだけの音楽 ①』 7月末刊行
今、音楽をきく、ということ
いつの間にか、音楽を聴く環境は大きな変貌をとげました。世の中にこれほどまでに音楽があふれている時代は、かつてあったでしょうか。どこに出かけて行っても、どの街を歩いていても、さまざまなBGMや環境音楽が耳に飛び込んできます。それだけではありません。道行く人も、電車に乗る人も、海辺を走る人も、犬を連れて散歩する人も、多くの人がヘッドフォンを通じてそれぞれの音楽を楽しんでいます。みんな一体どんな音楽を聴いているのでしょうか。
2000年代以降、世界に流通する音楽の絶対量は間違いなく20世紀の何倍にも何十倍にもなっていることと思います。かつて垂涎の的だった巨匠の名演奏のCDがわずか数百円、場合によっては数十円で手に入ったり、見たこともない貴重な演奏画像が無料で視聴できたり…、ほんの数グラムの重さの小さなデバイスに何千曲ものデータがつまっていたり…、Apple Musicをはじめとしたネット配信が音楽供給の主流となる日も、そう遠いことではありません。いや、すでにそれは現実のものとなっています。
音楽をとりまくこういった状況は、一見したところ豊かで恵まれたものと思えます。しかし、本当にそうなのか? 消費すべき音楽リソースはふんだんにあるけれど、そこから私たちは何を、どれくらい受け取っているのか? 飽食の中の飢餓とでもいうのでしょうか、思いのほか貧しく痩せた音楽体験を自分の掌の中に見出して驚くことがあります。見渡す限りの音楽の大洋に浮かぶ孤島、その渚に座して、激しく渇いている…そんなイメージです。
悦ばしく、楽しく、好ましいものだった「音楽をきく」ということが、いつしか遠いこと、稀なことになっていたとしたら…。その理由を問い糺しても詮無いことではありましょう、問題は「音楽をきく」を取り戻すこと、です。黒田恭一さんのことが懐かしく思い出されるのは、そんな時です。
黒田恭一さんが逝かれて早いもので6年になります。新聞や雑誌、そしてラジオやテレビを通じて、黒田恭一さんの言葉によってクラシックからポップスまで様々な音楽と、私たちは出会ってきました。それは未知の音楽との出会いであったり、あるいは慣れ親しんでいたつもりの音楽の思いがけなくも厳粛な表情との出会いであったりもしました。黒田さんに誘われ、導かれて、様々な音楽の風景が次々展開する散歩道を私たちは歩いていたのだと思います。「音楽をきく」という、本来身近なことでありながら途轍もなく素敵なことを、ごく自然にさりげなく、やさしく示してくれる素晴らしいきき手であり書き手であった黒田恭一さん、彼が立ち去った後の椅子は、時が流れてもなお空席のままに留まっていて、次にその席に就く人はなかなか現れそうにないのです。
求められるままに惜しげもなく様々なメディアに寄稿された黒田恭一さんの文章は膨大なもので、その一部が生前10数冊の書籍にまとめられていますが、残念ながら大半の著作は気軽に手に取って読むことが難しくなってしまいました。しかし、例えば、何十年も前に聴かれ、今はすっかり忘れられた音楽家のことを語っても、驚くべきことに黒田恭一さんの文章はまったく古びていません。その言葉が、その音楽家のことを語ると同時に、音楽をきくという普遍的なことに触れているからです。この度私たちが企画する「黒田恭一コレクション」は、今読んでも面白い、今だからこそもっと読んでみたい、黒田恭一さんの著作をもう一度辿り直して、音楽をきくための試みです。
「本」というかたちに私たちがこだわりたいのは、音楽も言葉も単にデータとして情報空間に存在して、ダウンロードされ、転送されるのではなく、手触りと風合いを持った「もの」として「ここ」にあって、手から手に伝わっていくことが好ましいと感じる「偏屈=MUZAK」だからです。
しばしお付き合いいただけたら幸いです。
(MUZAK BOOKS編集部)
*MUZAK BOOKSは最寄りのCDショップとAmazonなどネットで購入いただけます(今のところ一般書店では扱っておりません)。